東京電力福島第一原発事故により放射能汚染された土壌や廃棄物の「中間貯蔵施設」視察

 東京から常磐道を通り、福島県に入ると高速脇に線量を示す電光掲示板が時々現れ、改めて当時の過酷な事故のことを思い出しました。 
 私は東日本大震災の後、一度も福島を訪れたことがなく、一度はこの目で現状を確かめたいと思い、この視察に参加しました。 
 中間貯蔵施設は大熊町、双葉町にまたがり、広さは約1600ヘクタールで渋谷区とほぼ同じ広さだと説明を受け、そんなに広いのかと驚きました。マスク、ヘルメット、手袋が配られ、バスに乗り込み、サンライトおおくまという当時デイサービスとして使われていた施設に向かいました。サンライトおおくまは、時が止まったまま、そこにありました。 

 ここは福島第一原発施設が一望できる唯一の場所で、遠くからではあるもののニュースで見慣れた景色が広がっていて、ここにある核燃料はいつどうなるのか、私が生きているうちに解決できるのだろうか、などと心の置き所のないまま、ただ、見つめていることしかできませんでした。 

 再びバスに乗り込み、原発から出る熱を利用したかつてのヒラメ養殖場や、放射性物質を含んだ稲わらや枝などを燃やした後の灰を貯蔵する倉庫を横眼に見ながら進みました。次にバスから降り立ったところが貯蔵施設と聞いて、この広々とした野原がそうなの?と思い、ガイガーカウンターを地面に置くと0.36マイクロシーベルトと示されました。この原っぱの下に8000ベクレルの汚染土が何層ものシートに包まれて保管されていることを知らされ、これでも貯蔵というのかと疑問がわきました。コンクリートで覆われ厳重に保管されているという灰と同様に、保管状態に万が一のことがあったらということを考えると、石棺ですべてを覆う選択肢もあったのではないかと、今からでも方向転換できないのかと思いました。最後に汚染土を利用した道路盛土実証事業を車窓から見ましたが、屋外の道路に放射性物質で汚染された土を使うことは、安全性が100%ではなく、放射性物質を日本全国に運び出すことにより、問題をさらに大きくする危険性があると思いました。国は2045年3月までに汚染土を福島県外で最終処分すると特別措置法で定めていますが、「誰がきめたことなのか」「福島の人も勝手に決められたと感じている」、「汚染土は県外に出してはならない」という人がいる一方で、貯蔵施設に土地を提供した町民の方の「2045年3月にこの地に戻る」と書かれた石碑もあり、全ての人から平穏な暮らしを奪う原発は、やはり廃止しなければならないと強く思いました。

原子力発電所の排熱を利用したヒラメの養殖場は、津波の被害に遭い、今は廃墟となっています。

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おひさまレポート№126